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私の体は「私そのもの」ではない

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体も心も「私」ではない

数年のサイクルで細胞が入れ替わるそうです。

組織によって周期が違ったり、ほとんど替らない細胞もあるそうですが、

私たちの体は新しい細胞に生まれ変わっていると言えそうです。

 

ところが新しい体になっても、人格は変わっていませんよね。

つまり体は「私」の付属物、所有物であり、「私そのもの」ではないのです。

 

私の手、私の頭、私の心と表現する時、「私の○○」の○○は私とは別の物だというニュアンスになります。

・私が持っている物。

・私に付属している物。

という感じに捉えていると思います。

 

私の考え、私の心・・

心や思考、自我でさえもわたしではないのか

 

少し考えてみたら まあそうですよね

思考も自我も 考え出した物=私からは切り離された物=もう私ではない

ですからね。

 

では心はどこにあるのか

わたしには想像しかできません。心臓の辺りにありそうな気もしますし。

ワンネスとかいう言葉を知っているせいか、宇宙全体にあるのかな。とイメージしてみるもピンと来ません。

 

どこにあるとかいう考えはやめたほうがいいかもしれません。

 

心、思考、自我 はただの概念なのでしょうか

概念=存在はしない 的な意味を含むのですが、

「心は概念である」は納得しづらいです。

自分が作り出している物を概念だとは認めにくいです。

 

概念ではなく生産物と表したいです。

「心、思考、自我は私の生産物である」 

 

私そのものではない事を言いたかったので、概念でも生産物でもいいんでしょうが、

自分の中で整理するために生産物であると定義しました。

 

「私」が何なのか、どこにあるかは分からない

体も心も私ではない事は理解出来ます。

じゃあ「私」は何?と聞かれても答えられません。

分かりません。

 

分かりませんが

考える事が楽しいのです