「優越感依存症」にはならないで
生存本能の為か他人と比べて優位に立とうと、いつも他と比べる。
あの人よりは<まし>だと勝手に優越感を持っていたら、
実はお金持ちだと知り、今度は劣等感を持つ。
相手は何もしていないのに
こちらの空回り、自爆で嫌な感情を生んだだけ
優越感を持つという事は劣等感も抱えるているということ
一時的な心地良さを求めて他人と比べても上には上がいる。
優越感なんて捨てましょう
ここぞという時のみ競争、勝負して
普段は「他人は他人、自分は自分」と穏やかに過ごす。
波ひとつ無い湖のように
潜在意識が「思い出の引き出し」を開けている
いい風景の思い出も、悪い出来事の思い出も
忘れていた昔のことをふと思い出すのは、潜在意識が記憶の引き出しを開けているのでは?
普段の顕在意識では思い出そうとは考えない。
忘れているからです。
忘れてはいるけど無くなるわけではなく、蓄積された記憶はどこかの引き出しにしまわれているような感覚があります。
意味があって引き出しを開けているのか分からないけど、
イヤな思い出を引っ張り出してきても、メッセージやヒントだと思って前向きに考えていくつもりです。
潜在意識は不思議で面白い。
どこまでが自分なのか・・
「気のせい」「見間違い」で済ませるのはもったいない。
「虫の知らせ」「第六感」は割と受け入れるのに
「気のせい」「見間違いだろう」はノイズのように思ってしまう。
もしかしたら重要なサインかもしれないのに、もったいない。
人間の脳は記憶装置としてはいまいちポンコツですが、
センサーとしては優秀なようです。
そのセンサーが何かをキャッチして教えてくれているのに
「気のせい」にする事を繰り返していると、潜在意識がもういらないと判断して
サインを出さなくなるような気がします。
繰り返すという事はとても重要です。
良くも悪くも潜在意識(無意識)に影響を与えます。
・一度自転車に乗れるようになると後はオートマチックで勝手に体が動いてくれます。
無意識に運転してくれます。
・顕在意識がトイレに行こうと決めたら、潜在意識がトイレまでオートマチックに連れていってくれます。
無意識(潜在意識)を味方につける方が得です。
「気のせい」ではなく「何かのサインかも」と注視する習慣を身につけると
新たな発見や感覚を味わえるようになるのかもしれません。
神様≒潜在意識
私は
神様≒潜在意識
と考えているので、
神様にお願いする=自分の潜在意識にお願いしている事になる
他の言い方だと ↓
神社で神様とつながる=潜在意識にアクセスする、と解釈します。
何か願い事があっても普段の生活の中では叶え方が分かりにくい。
そこで神社に行く訳ですが、何故神社に行くのか?
神秘的な場所に行くと、生活圏よりは素直に潜在意識とつながりやすいと感じるのではないか
・神社で潜在意識(神様)とのパイプが太くなる
・潜在意識(神様)からヒントをもらう
・行動力や意欲が出る
・願いがかないやすくなる と考えています。
神社は穢れを落としてくれる場所でもある
神社では手水所で清めて、拝殿で願掛けをしたり日頃の感謝をするというのが一般的かと思いますが、願掛けや感謝の他にも
穢れを落としてくれる場所でもある気がします
銭湯やサウナで汚れを落としてサッパリ出来るように、
神社では穢れ(自分や他人が発した悪い念)を落としてくれるような気がするのです。
神様の前では清い心で居ようという心が、ふと我に返るような冷静な気持ちにさせて
汚い言葉遣いが染み付いていないか、迷惑をかけていないか省みる機会を与えてくれている=穢れを落としている
気がします。
「はらいたまえ、きよめたまえ」と唱えるのも
悪霊とか呪いとか大袈裟な事にではなく、ほんの身の回り穢れを落とすために唱えているのだと思えば実感が沸き、意味が出ると感じています。
潜在意識が作り出した神様が自分に一番合う
神様のお名前やお姿は他人が考え、作ったもの、描いたもの。
パワースポットと呼ばれる所で何かを感じてもピント来ない。
何を意味するのか分からない。
イメージが浮かんで来ない。
イメージする訓練が出来ていない。
潜在意識と連携が出来ていない。
今私達が「見えている」と思っている映像は脳が作り出したもの。
外からの光の情報や、今までの経験などを総合してスクリーンに映し出しているようなものらしい。
いわば作り物の世界。
ならば他人ではなく自分が感じ取って潜在意識がイメージさせた神様なら、たとえ作り物でもしっくりくるのではないか。
理想や希望、願望が入ってしまう「顕在意識」(普段認識している意識)が作り出した神様ではなく、コントロール出来なさそうな「潜在意識」が見せてくれた神様なら素直に受け入れられるのでは。
スマホもお守りになる
同じような事を以前にも書いていますが、思いついた事なのでどんどん書いていきます。
不気味な場所、知らない場所でスマホを触ると怖くなくなる。
→安心感が出る
→それはもうお守りです
「大丈夫だ」という安心感を持たせるものなら、お守りになると思います。