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「科学的に説明できなければインチキ」と言われても

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科学的とは

「科学的に説明しろ。出来なければインチキと見なす。」

「科学的に証明されなければ認められない」

「オカルト、スピは科学的でないから・・」

こんな感じの言葉

どこかで見聞きしたことありませんか?

 

辞書では

1考え方や行動のしかたが論理的、実証的、系統立っているさま。

2特に自然科学の方法に合っているさま。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

とあります

 

実証的というのがポイントです。

検証と再現性

だれでも検証でき、同じ結果が出れば「科学的に証明された」と言えます。

 

科学的というグループ分け

この「科学的」という言葉、いつも違和感を感じます。

引っ掛かるものがあります。

物知りの人たちが「科学的」という概念のグループを作ってしまったので、

必然的に「非科学的」が生まれ区別されるようになり、

科学が主流になると

【科学的でないものは存在してはいけない】

みたいな雰囲気が猛威をふるってきました。

 

「科学的」は

物事を説明する上でのグループ分けの一つに過ぎない。

非科学的なもの、まだ知られていないもの、など全部含めて

「全て」です。

 「全て」を知るには「科学的」だけでは不十分なんです。

 

証明が出来ていないだけなんです。

もしかしたら証明そのものが出来ないものがあるのかもしれません

 

今は非科学的、その他に含まれていても

 将来、オカルト(神秘的、超自然的)やスピなどとレッテルをはられているものの中から、すごい理論がでてくるのを期待してしまいます。

 

 例えば長年学者を悩ませている

【光の二重スリット実験】が説明できるかもしれません。

 

 

「科学的」を絶対的正義と思い込むと、

視野がせまいまま終わってしまいそうです。 

もったいないです。

 

私はオカルトやスピに浪漫を感じるのです。