在るblog

在るblog

(聖)精神と(俗)お金、EDC スピリチュアル ミニマリズム etc

感情にも境界線は無い ~「楽(らく)」と「楽しい」の関係を考える~

f:id:pjtadq:20180704182543j:plain

 

先日<あなた>と<私>には境界線は無いという事を書きました。

 

riiei.hateblo.jp

 今回は物質的ではない感情、心にも境界線は無いという話です。

 

善か偽善か

 日本人が海外のスタジアムで、試合後のゴミ拾いをしています。

あなたにはどう映りますか?

善ですか?偽善を感じましたか?

 

正解はありません

 

見る人によって感じ方が違うだけで、善にも偽善にもなり得ます。

善、偽善はただの「概念」「観念」で、人が<差>をつくっているだけです。

 

宇宙や自然には 善、偽善はありません

 

サッカーは面白いもの?面白くないもの?

善のような抽象的なものだけでなく、具体的な物事に対する感情ではどうでしょう。

同じですね

サッカーそのものは面白いものでも、つまらないものでもありません

面白い、つまらない はただの「概念」「観念」で、人が<差>をつくっているだけです。

 

相反しているかのような

「面白い」、「つまらない」の間には明確な境界線は無いんです。

各々が<差>をつくり、「面白い」「つまらない」という概念で表現しているだけです。

 

「サッカーは面白い」と決めたのは あなた です。

 

あなたが感情を選択している

普段の生活でもいろんな感情が出てきます。

楽しい、嬉しい、面白い、悲しい、寂しい、苦しい など。

感情が出てくると書きましたが、

自分で感情を選択していると考えたらどうでしょう。

 

物事そのものには楽しさも苦しさも含まれてはいない。

私たちが「苦しさ」を選んでいるのでは?

だったら「苦しさ」より「楽しさ」を選択すれば良いのです

 

その方が「楽」ですよ。

 

なぜ「楽しい」が「楽」なんだろうか

なぜ同じ漢字を使うのだろうか。

小学校の時に同じ漢字だと習いますが、なぜ? とは考えもしませんでした。

しかし今、少し見えてきたかも。

 

「苦しさ」より「楽しさ」を選択すれば「楽」になる

 これですか?

大昔の人もこう考えて、同じ字を当てたのですか?

 

ま そんな訳ないと思いますけど、

こういうことを考えるのも「楽しい」