「悟り」「気付き」の後にも日常はある
「気付き」のあとにも日常はある
軽々しく「悟り」「気付き」なんて言っていますが、全く理解も想像も出来ていません。
出来ていませんが、これは言えます。
気付いたところで何も変わらないだろう。
・日常生活は続く
・学校や会社には行かなければいけない
・人間関係は変わっていない
・戦争や災害に巻き込まれるかもしれない
・悟ってもお金持ちにはなっていない
精神世界の本などを読んで、気付きたい 理解したいと思う一方で、
「だからなんだ」
「悟ってその後どうするの?」
「で?」
という思いもある。
だから本気で悟ろうとか、修行しようなどとは思いません。
おそらく皆さんと同じく、単なる知的好奇心です。
「宇宙は有限?無限?」よりはオカルト寄りで、
「お化けはいるの?」よりはリアルな感じの
「この世の仕組みはどうなっているの?」
これを考えるのが楽しいんです。
【この世の仕組みというのは、社会の仕組みの事ではありません。
・ルールを作ったのは誰(何)なのか
例)球体が安定するというルールを作ったのは誰?
例)重力(=引力)を考えたのは誰?
・観察者が存在するのか 注)
・自我はどこに属しているもの?
のようなスピリチュアル的な仕組みを指します。】
注)
ぶっちゃけ 宇宙人はいるのか(プレアデスやら、シリウスやら)?
多次元世界があって上から観察されているのか?
という意味合いです。
精神、魂の世界にどっぷり浸かるのは危険な気がしますが、
食べて飲んで繁殖して死んでいくだけの人生はつまらない。
その中間あたりを行ったり来たりすることが心地良い。
まあ
真ん中を知るには両端も知らないと・・・ですがね。