在るblog

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(聖)精神と(俗)お金、EDC スピリチュアル ミニマリズム etc

存在を一番感じさせるのは『触覚』

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・見えないけど触る事ができるなら⇒「ある」

・ホログラムなど

 見えるけど触れなければ    ⇒「無い」

 と判断してしまう。

 

視覚が一番重要そうに思えるが、存在を測るうえで実は触覚が一番重要なのかもしれない。

 

神棚や祭壇は潜在意識と向き合うための道具に過ぎない

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潜在意識からヒントをもらったり、サポートを受けると願いがかないやすくなるらしい。

頭の中がザワついていては感じ取りにくくなりそうです。

そのためには、集中できる環境が大事。

 

トイレやお風呂でいいアイデアが出るなら、そこがヒントをもらえる環境なんでしょう。

図書館や喫茶店が集中できる場所なら、いい環境でしょう。

 

自分の部屋の環境を良くしたくて

神棚や祭壇ぽくしてしまうとちょっと怖いです。

素材、色、光、匂い、音楽、所作を駆使して儀式のようになってしまうのは、違和感を感じます。

 

神棚、祭壇、お札などの道具そのものからはアイデアはもらえません

 

『潜在意識からいいアイデア、ヒントをもらっている』と認識することが重要だと思っています。

 

 

 

 

 

年中無休で誰かと競っているから疲れる

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仕事や学校、競技会などで良い結果を出そうと競争する事は必要でしょう。

でも、競争しなくてもいい休みの日であっても

・他人の目を意識しての買い物をしたり

・ゲームで競い合ったり

・テレビをみて「バカだなあ」「下らないなあ」と言ったりして

 つねに誰かと自分を比較し、自分は大丈夫と思いたがる。

 

 

疲れる。脳や体を休ませたほうがいい。

 

これを書いている事も他人と比べている事になるのだけれども ・・

バッテリー上がりの出費を「金運が下がった」とは思わなくなっていた

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元号になって二日目、GWの真っ只中

やってしまったバッテリー上がり

大型ショッピングセンターの立体駐車場でライトつけっぱなし。

買い物が済んで戻ったその瞬間頭真っ白です。

1分くらい呆然としてしまいました。

 

幸い黒と赤のバッテリーケーブルは積んであったので、あとは帰り際の人にお願いしてケーブルをつながせてもらいました。

そして帰路途中のカーディーラーでバッテリーを交換しました。

 

以前の自分だったら「面倒くさい」「ついてない」「いたい出費だった」と思い浮かんだでしょう。

悪い出来事だと感じたでしょう。

 

しかしこの時の心境は「ありがとう」の連続でした。

 

・ずっと使っていなかったケーブルを積みっぱなしにしていた自分や家族に「ありがとう」

・ケーブルを快くつながせくれた方に「ありがとうございました」

・GWでも営業していたカーディーラーに「助かりました」

・自分の『危機対応能力』や『コミュニケーション能力』の経験値が上がって「感謝」

と自然に浮かんで来たんです。

バッテリーの出費も無駄遣いではなく、自分への投資であるかのような感覚になっていました。

 

ネガティブ思考からポジティブ思考に変わりつつあるように感じます。

 

これは最近はじめた

「ありがとう」

「あいしてる」

を繰り返して潜在意識を書き換えるという行動の効果とみています(ポジティブに)。

 

 

riiei.hateblo.jp

 

 

神様はどこにいる

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「神様がみているぞ」

「お天道様(太陽)が見ているぞ」

など、悪い事をさせないようにする言い回しがあります。

日常ではあまり使いませんが、昔話なんかで見たり聞いたことがあるでしょう。

 

  なぜ上から監視している表現を使い

  なぜそれに疑問を持たずに受け入れているのでしょうか。

 

  横で監視する存在がいてもいい(日本の神様は身近におられるようですが)。

  下から見上げながら監視されても構わないのに。

 

本当に上で監視している事を深層心理、潜在意識では知っているのでは?

神と呼ばれる存在が実際に上(宇宙)から来たと知っているのでは?